歌樽先生:そうですね。確かに意味が他のものとは全くちがいますからね。
第16問:では、「섧다」の連体形は次の内どれでしょうか。
1) 섧은 2) 서러운 3) 설운 4) 선
詩子アナ:「짧다:短い」は「짧은」ですから、1)の「섧은」のようですが、これでは易しすぎて問題にならないでしょうし、、
歌樽先生:問題を読む力はさすがですが、かなり困っているようですね。
詩子アナ:「서러운」は「서럽다」の連体形、「선」は「설다」の連体形、「섧은」でないとすると、「설운」が残りますから、、、自信はありませんが、
第16問:答えは3)の「설운」です。
歌樽先生:「ㅂ」変則で「설운」が正しい形ですね。「설」の下にさらにパッチムの「ㅂ」が付いたような形だと理解すればいいでしょう。
詩子アナ:では「설은 봄」というのは、本来は「설운 봄」でなければならないのですか。
歌樽先生:現在は「설운 봄」ですが、当時は「설은」がふつうに使われていたようで、金億先生の訳詩集『꽃다발』にも「설은 相思」、「설은 맘」などと書かれています。
詩子アナ:では「설움」は「설음」と書かれているのですか。
歌樽先生:その通りです。「나의 이 설음:私のこの悲しみ」「남의 설음을:他人の悲しみを」などの表記がなされています。
詩子アナ:「설은 봄」の「설은」と「설다 해도」の「설다」は同じ意味で使われているのですか。
歌樽先生:同じ意味だと思います。「섧다」の意味で「설다」がよく使われていましたから。同じ『진달래꽃』という詩集の本でも編集者が異なるため「섪다」、「섧다」とも書かれていますが、「섪다」は現在の表記法では「섧다」で、意味は「서럽다」と同じと考えられています。これは「원통하고 슬프다」つまり「怨めしい、つらい、口惜しい、嘆かわしい、悲しい」という意味で使われます。一方、「설다」は「生煮えだ、手慣れていない、足りない、(眠りが)浅い」などの意味があります。この意味で理解している人もいるようですが、新旧の「樹芽」を比べると、後者の意味でないことは確かです。
詩子アナ:「旧樹芽」の後ろの2行が「新樹芽」では削除されていますが、これはなぜですか。
歌樽先生:では、この問題を考えてみましょう。
第17問:「旧樹芽」の以下の2行が「新樹芽」で削除されました。
내가슴에도 봄이와서
지금 눈을 트랴고하여라.
その理由と最も関連の深いのは次のどれでしょうか。
1)「웬만한」の位置変更 2)「설은봄」を「설다해도 」に変更
3)「봄은 아니여」を「봄이안이어」に変更 4)「나무가지」を「나무도」に変更
詩子アナ:もう一度詩を比較して読んでみます。
旧樹芽 新樹芽
웬만한 설은봄은 아니여! 설다해도
웬만한,
봄이안이어,
나무가지 가지마다 눈을텃서라, 나무도 가지마다 눈을터서라!
내가슴에도 봄이와서
지금 눈을 트랴고하여라.
歌樽先生:何か分かってきましたか。
詩子アナ:分かったような、分からないような不思議な気持ちです。
歌樽先生:不思議な気持ちというのがいいですね。目が輝いてきましたね。もうこれは、間違いなく分かってきたということでしょう。では、言ってみてください。
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