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수아 樹芽(木の芽) 第12回

歌樽先生:そうですね。確かに意味が他のものとは全くちがいますからね。

16問:では、섧다」の連体形は次の内どれでしょうか。

1) 섧은    2) 서러운    3) 설운    4)

詩子アナ:「짧다:短い」は「짧은」ですから、1)の「섧은」のようですが、これでは易しすぎて問題にならないでしょうし、、

歌樽先生:問題を読む力はさすがですが、かなり困っているようですね。

詩子アナ:「서러운」は「서럽다」の連体形、「선」は「설다」の連体形、「섧은」でないとすると、「설운」が残りますから、、、自信はありませんが、

16問:答えは3)の「설운です。

歌樽先生:「ㅂ」変則で「설운」が正しい形ですね。「설」の下にさらにパッチムの「ㅂ」が付いたような形だと理解すればいいでしょう。

詩子アナ:では「설은 봄」というのは、本来は「설운 봄」でなければならないのですか。

歌樽先生:現在は「설운 봄」ですが、当時は「설은」がふつうに使われていたようで、金億先生の訳詩集『꽃다발』にも「설은 相思」、「설은 맘」などと書かれています。

詩子アナ:では「설움」は「설음」と書かれているのですか。

歌樽先生:その通りです。「나의 이 설음:私のこの悲しみ」「남의 설음을:他人の悲しみを」などの表記がなされています。

詩子アナ:「설은 봄」の「설은」と「설다 해도」の「설다」は同じ意味で使われているのですか。

歌樽先生:同じ意味だと思います。「섧다」の意味で「설다」がよく使われていましたから。同じ『진달래꽃』という詩集の本でも編集者が異なるため「섪다」、「섧다」とも書かれていますが、「섪다」は現在の表記法では「섧다」で、意味は「서럽다」と同じと考えられています。これは「원통하고 슬프다」つまり「怨めしい、つらい、口惜しい、嘆かわしい、悲しい」という意味で使われます。一方、「설다」は「生煮えだ、手慣れていない、足りない、(眠りが)浅い」などの意味があります。この意味で理解している人もいるようですが、新旧の「樹芽」を比べると、後者の意味でないことは確かです。

詩子アナ:「旧樹芽」の後ろの2行が「新樹芽」では削除されていますが、これはなぜですか。

歌樽先生:では、この問題を考えてみましょう。

17問:「旧樹芽」の以下の2行が「新樹芽」で削除されました。

내가슴에도 봄이와서

지금 눈을 트랴고하여라.

その理由と最も関連の深いのは次のどれでしょうか。

1)「웬만한位置変更                    2)「설은봄설다해도変更

3)「봄은 아니여봄이안이어変更   4)「나무가지나무도変更

詩子アナ:もう一度詩を比較して読んでみます。

旧樹芽               新樹芽

웬만한 설은봄은 아니여!         설다해도

웬만한,

봄이안이어,

나무가지 가지마다 눈을텃서라,      나무도 가지마다 눈을터서라!

내가슴에도 봄이와서

지금 눈을 트랴고하여라. 

歌樽先生:何か分かってきましたか。

詩子アナ:分かったような、分からないような不思議な気持ちです。

歌樽先生:不思議な気持ちというのがいいですね。目が輝いてきましたね。もうこれは、間違いなく分かってきたということでしょう。では、言ってみてください。

 

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